さかなのブログ

28歳(女)現在無職 発達障害 アスペルガーグレーゾーン女のブログ

【長文 前編】摂食障害で強制入院した話【中学生時代】

 

今回はいきなりですが、中学時代の話を書いて行こうと思います。

 

理想的には時事系列で過去の話を書いていきたいと考えてたのですが、気分にムラがある私には難しかった...すみません。

 

しかし出来るだけ順番で書いていきたいと思っています。(願望)

 

 

突然ですが、私は摂食障害で強制入院させられた過去があります。

摂食障害になっていた期間は中学生1年〜3年生の春くらいまでです。

因みに私の摂食障害は"痩せたい"気持ちから来るものではなく

"腹痛"や"強迫性障害"が原因でなってしまった、少し変わった症例?です。

そもそも私は学生時代、不登校の期間がかなりあり、中学校の3年間はほぼ学校に行っていませんでした。

不登校が始まったのは小学4年生の頃からでした。

なんで学校に行けなくなったのかはまたお話ししようと思うのでここでは割愛します。

 

4年生から徐々に登校出来なくなり5年生になる頃には完全に不登校になっていた私。

そして、悩み苦しんだ末に6年生に上がる時に学校を転校する事になりました。

理由は学校へ行けない事、母の精神的なストレス、家が貸家だったので元々新築を検討していたなど、他にも理由が重なり引っ越しする事に。

 

すべて新しいものに変わり、少し気分も変わりました。

私も新しい小学校へ通う事になり、人間関係や環境ともに一新し「今度こそ上手くやりたい!」と希望を持っていました。

しかし1年も持たず私はまた人間関係で躓き不登校に...。

原因は発達障害の特性からくるものと、多感な時期なのもあり女子特有のドロドロした人間関係でした。

 

そんな状況で、ストレスを抱えていた私は、それが原因か、よくお腹を壊すようになっていました。

小学6年の時に一度胃腸風邪になったのを覚えています、それが引き金か、ストレスか不明なのですが、それ以降食べるたびに腹痛、下痢を繰り返し続けて

28歳の今も"過敏性大腸炎"に悩まされています。

よくよく考えると長い間お腹の事で悩まされてます。

 

時間も経ち、お医者さんにも治ったから食べて大丈夫だよ。と言われていたのを何故か覚えています。

ですが、私はなるべく消化の悪いものを避けて、ご飯を食べていました。

そんなある日、その頃(小6)の担任の先生がクラスの友達と一緒に家に招いてくれる事がありました。

その先生は私が前の学校で不登校だった事を知っていて、よく気にかけてくれていました。

それもあってか先生と仲良くなり、先生のお家に招いてもらえる程の仲になってました。笑

しかし事件がおきます。

その日は先生が作ってくれたお昼ご飯を食べる事になったのですが、少しお肉を使った料理が出て来ました。

お医者さんに大丈夫だと言われながらもあまり脂っこいものを食べていなかった私。

 

少し不安ながらもそんな理由で断るのも恥ずかしく普通に食べていました。

しかし食べ終わってしばらくしていた頃

急にじりじりお腹が痛くなってきました...。

私はやばい!と感じながらも頑張って耐えていたのですが、一向に治まらず。

ギブアップで腹痛をカミングアウトしトイレへ...

しかし何分たってもお腹がひたすらに痛いだけ

で結局そのままトイレから出て、先生の家てしばらく休む事に。

多分緊張していたのもあったのか、休ませてもらっても一向に治りませんでした。

先生もヤバいと思ったのか私の親に電話を掛けてくれました。

そして両親が先生の家まで迎えに来る事に、

せっかく前から約束して楽しみにしてたのに、、という残念な気持ちに駆られながら

本当にずっと痛くて痛くて

家に帰宅したあともしばらく耐え苦しみ、数時間後やっとトイレに行き痛みから解放されました。

 

多分腹痛に2、3時間は耐えていたと思います。

私は、せっかく楽しみしていた日が台無しになってしまった事、周りに迷惑をかけてしまった事やら後から色々気持ちでかなり落ち込んでしまいました。

そしてこの一件から私は"腹痛"と"食べる"事に対して徐々に恐怖を抱く様になります。

 

それと同時に病気が治ったのに、なんでだろう?

私は病気なのかな、と何度も心配で病院にいく様になります。

でも何度行っても、エコーや検便をしても問題なく

先生にはストレスかな?と言われるばっかりでした。

恐らく私が小学生の頃は"過敏性大腸炎"という病気はあんまり浸透していなかったのかなと思います。

(昔からあったのかな?)

しかしそれから、しばらく腹痛が治っていた時期がありました。

その時はまだ友達とも上手くいっていて、食に関心も薄まり、学校の事でいっぱいいっぱいだった様に思います。

 

そして6年生の秋頃友達関係に悩んでしまった私はまた学校へ行けなくなります。

なんとなくうろ覚えなのですが、恐らくこの時期からまた腹痛に悩んでいたと思います。

 

この頃の私は本当に絶望していました。

新しい環境でもまたダメになってしまい、親にも迷惑をかけ、周りにも呆れられていて

私はどこにいっても、何をしてもダメなんだと"私の人生は結局上手くいかない、もうどうなってもいいや"と自暴自棄になっていました。

(思春期だったのもあり、かなり病みモードでした。)

かろうじて卒業式と中学校の入学式には出席し、中学校も初めの数週間は行っていたと思います。

中学校は他校と一緒になり、結構大きな学校でした。

周りの子は、最初は同じ小学校の友達と固まって、徐々に他校の子と仲良くなっていくという流れでした。私は、しばらく不登校だった事もあり小学校の友達とも距離が出来ていてあまり話す事が出来ませんでした。

 

はじめから1人ぼっちの状態でした。

(私が勝手に思い込んでいた所もあります。)

今思えばもう少し頑張れば友達だって出来たかもしれないと思ったのですが、ショックから立ち直れず。

自分は何しても上手くいかないと"思い込んで"いたので初めの段階で諦めてしまいました。

 

ここから全く学校へ行かなり、本格的に引きこもり始め、精神的に悪化していきました。

親も小学校の頃は無理やり学校へ連れて行ったり、毎日''学校へ行きなさい"と説得したりしていましたが、もうこの頃には呆れられるようになっていました。

 

毎日家にいて、雑誌を読んだりPCでネットをしたり寝たりしていました。

本当に暗かった。

当時はネット=オタク みたいなイメージだったのでネットの世界は自分の様な悩みを抱えている人達も沢山いて、居心地が良かった事を覚えています。

 

そして段々食欲は無くなっていきます。

ここからは少し重たいお話になります。

アスペルガーの特性なのか

私は"強迫性障害"のような思考を常に持っていて、"○○でないとダメだ''と決めつける

白黒思考な所があります。

学校へ行っていた時は

"明日はこの服じゃないとダメだ"

"遅刻しちゃダメだ"

"○ちゃんの約束を破ったからもう嫌われた"

など当たり前な事から自分の謎のルールやら、勝手に思い込んでルールを破ったらこの世の終わりだ、くらいの落ち込みや癇癪を起こしていました。(ヤバい)

なので根本的には幼少期と変わっていません(今も)

日々生活で使っていた白黒思考、学校を休んだ事により、その思考をぶつける矢先がなくなり

自分の体へ向かってしまいました。

 

きっかけはもちろん腹痛です。

私は月に1度くらい2、3時間くらい腹痛に襲われる様になってしまいました。

その原因はストレスだったのか今でもよく分かりません。

病院も行きましたが、異常なし、で大腸カメラは若いからという理由で撮っていませんでした。今思えば調べないのもどうなのかと思いますが...

 

便秘と下痢を繰り返していて長時間の腹痛はとても辛かったです。あんな経験もうしたくありません。

因みに今は短時間の腹痛で治ります。

 

そして次第にご飯を食べなくなります。

脂っこいもの、消化の悪いもの、お菓子

とにかくお腹に良くないものは片っ端から調べました。

 

そして徐々に食べなくなりました。

お腹に良い野菜やヨーグルトを食べる様に努力し、なるべくそれ以外は食べないようにしていました。

 

これが恐らく中1の冬頃かと思います。

でもどうしても我慢出来なくなる時もあり

その時は少しうどんとかご飯とか炭水化物を食べる様していました。

 

ですが、それを食べてしばらくし、また腹痛が襲ってきます。

そうすると私は、「多分あれ食べたからだ」という思考回路になります。

「じゃあもうあれは食べられない」

という風に段々食べるもを消去していきました。

それを繰り返していると徐々に食べ物が無くなっていきます。

 

中学2年生からはヤバくなり始めます。

どんな食生活をしていたかと言うと

 

朝 白米 おにぎり1個分

夜 白米 おにぎり1個分

 

みたいな感じでした。

ただまだ気が向いたらお菓子や他の食べ物も葛藤しながら食べていたと思います。

 

けれど必ずやってくる腹痛。

本当に原因か分かりません

こんな食生活で、メンタルの方も大分ヤバかったです。

 

私は隣の家に同級生女の子が住んでいました。

小学校から一緒でたまに外で会ったら

元気?と声をかけてくれたりしてました。

 

私とは正反対で部活もバリバリやっていて

友達も多くて本当にTHEリア充な子でした。

 

私が辛かったのは土日になるとその子が大勢の友達を呼んで家の前で遊ぶ事でした。

勝手な嫉妬で情けないんですが、家は本当に隣同士なので、嫌でも目に入ってしまいます。

そんなキラキラな青春中学生を見せられるのはとても辛く、土日はずーっと一番家の前の景色がみえない自分の部屋に引きこもっていました。

そしてそれを見た母も

「ほら、皆外で遊んでるよ、あんたも○○ちゃん(隣の子)と遊んできい!」と私によく言っていたのを思い出します。

 

なんか私って生きてる意味あるのかな?

 

段々そう思うようになってきてました。

幼少期から苦しくて転校しても上手く行かなくておまけにご飯も食べられなくて

神様から生きる事を反対されてるんじゃないのかな?

って純粋に思っていました。

(今思えば単純な思考回路だなぁ、幼いなと思います。ですが、危険な思考です。)

そんな感じでご飯を極力食べずに過ごしてると

段々と体重が減っていきます。

 

私は痩せたかった訳じゃないので

"痩せてる"と言われるのが、ご飯を食べていない事がバレそうで怖かったです。

そこで私は冬でも夏でも厚着する様になります。

ズボンをはくなら下に厚手のジャージとレギンスを重ね着して

上はTシャツ2枚は重ね着していました。

とにかく足と腕がガリガリで、半袖は着れず

夏でも七部丈の羽織りものを着て下に長袖のTシャツを着て袖を折り曲げて腕を太く見せる様にしていました。

色々工夫しながら生きてましたね

 

摂食障害は母親との関係が原因で起こる

という風に言われているのをここ最近知りました。

私は痩せたいとか見た目のコンプレックスが原因で起こるものかと思っていたので

腹痛から摂食障害なんて変わった症例なんかなと思っていたのですが

母親との関係に悩んでいたので、これに当てはまるなと気付きました。

 

私は昔から自分の意見を母に認めてもらう事がほぼ無かったです。

なんでも否定されていました。もちろん学校行かなかったり言う事聞かなかったり、普通からかけ離れた事をしてたので、親の反応も仕方ない部分があります。

 

しかし母元々の性格もかなり関係していたと思います。

母はアダルトチルドレンで、今で言う虐待のような環境で育ってきました。

母はよく「父(祖父)から何一つ認めてもらえなかった」と言います。

そっくりそのまま同じ事を私も母に思っています。

 

母は私がご飯を食べられなくなっても、ガリガリに痩せても、メンタルが病んでも

私に心配の言葉を掛けてくれた事はありませんでした。

ご飯を食べない私を見ては「ご飯を食べない○○(私)と一緒に食べるのはこっちが気が重い」と毎食言われていました。

 

痩せた私をみても「細すぎて信じられない」と気持ち悪い物を見るような目で言われたり

よくお母さんの友達に「今○○こんな痩せちゃって服重ね着してるのよー」みたいに茶化されたり

母は昔からそんな人なので自分にとってそれがストレスになっている事に気付いていませんでした。

母は私が悩んでるときいつも関係ない、知らないふりをします。

私の仕事が忙しく、残業が続いて早く帰れなかった時期には「○○(私)が帰ってくるの遅いから家事全部私がやらないといけないじゃん」といわれてました。

 

私が40度の熱で3日間起き上がれなかったときも「早く病院行きな」としか言ってもらえませんでした。

こんなものなんでしょうか

正直比較対象がないので分かりませんが、私はどこかで母に"ここまで苦しんでる私"を認めて、気持ちを受け止めてもらいたかったのだと思います。

 

そして私は中学2年の冬ごろ全くご飯を食べなくなります。

お腹を壊した食べ物が増えて

食べられるものが減ってしまったのと、この頃は"死にたい"と言う思いが強かったです。

 

そんな中私はチューイングという食べ物を口に含んで飲み込まず味わって出す、という行動をよくしていました。

それ以外は飴だけ舐める生活でした。

 

普通にヤバいですよね。

 

一袋の飴を3日くらいかけて食べてました。

しばらく中学2年の2月くらいまで飴生活をしていた様な記憶があります。

 

 

 

後半へつづきます。